年老いてから子供と戦う?


年老いてから子供と戦う?


昔から老人と子供と言えば、ほのぼのした景色が見えてくるものだ。陽だまりの中で、子供は未来の夢を語り、老人の昔の夢をかたる。かなえられた夢がその子供だったかもしれない。



今の下流老人の世界では、暗くて冷たくてじめじめした空間が提供される。

子供は夢を語ることが出来ない。自分の未来は自分の周りに大勢いる老人たちが示している。老人は昔の夢を語ることが出来ない。昔の夢を結果は思いもつかない貧しい生活だ。その貧しい生活すら夢を持たない子供らに脅かされている。

働くのは豊かになるためではない。今の貧しい生活を維持するためだ。働いて豊かになれないことは誰でも知っている。富裕層に身を置いていなければ分け前は回ってこない。一部の有能な連中だけが壁を突き破って新しい世界を手に入れることが出来る。戦う前から諦めて当然の管理社会。

高度成長期の競争に明け暮れた老人は今なお戦いを続けている。

庇護され協調性だけで無欲な子供たちは戦うことを知らない。困ったら親だった老人に頼ろうとする。自分が何かをすることはない。死ぬまで受け身の発想しかできない。自尊心だけは高いから、世間で苦労するよりはいつも手っ取り早い親にすがる。

既に老人となった親は、もはや子供を養うなどは出来ない。

受け身だけの子供は親を養う以前に自分さえ養うことが出来ない。親の年金を当てにしてパラサイトを続ける。



そうではないのです。

子供は宝と思って育てていたら、宝でも何でもないことにある日唐突に気づく。宝どころか、暴力的略奪者だったのだ。法的な立場を利用して、やすやすと入り込んできて次々と奪っていく。老人も元気なうちは防御できるがいつか崩されるだろうと警戒を強める。

老人の財産はいずれ自分のものと子供は算段するが、老人は全く別のことを考える。子供が子供の役割を果たすなら引き継ぐ権利は認められる。法律はそのようにできている。実態は、何もしないどころか早く退場することを望んでさえいる。正当な権利者でも何でもないのだ。

それでもしようがないと諦めるのが戦前生まれの老人。戦後生まれの老人は戦う。理不尽は許せない。



<戦い方>

過去と現実の整理。思い出をまとめる。グッヅ(グッズ)、写真、記憶はまとめて整理。グッズは写真にとって説明文を書いてまとめる。

夢見たこと・期待したこと(過去)と得られた 結果(現実)を退避。

半生記にまとめて一件落着させる。1冊だけ印刷してカバーをつくて仕舞っておく。精神的葬儀だ。簡単に自分だけの儀式をやっても良い。

まとめ(デジタルブック・デジタルアルバム)が終わったら一切を処分する。

新しい思い出は作らない。交流は面会も通信も一切やらない。

遺産を渡す相手を探す。個人でも団体でもいい。遺言にしておく。もしくは自分で使い切る。もっとも愚かしい(?素敵な?)選択は老人ホームに全額拠出。もっとも、この場合は内庭に落下させられて事故死が待っているので慎重に。

基本は自己投資。食事、健康、趣味。

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