ファイナンシャルプランナー

ファイナンシャルプランナー

こういう職業の人がいる。

自分の資産にどういう決着をつけるか。

これを決めるのも終活のひとつ。

エンディングノート

エンディングノート

Ending Note

最近良く耳にするエンディングノートって何かと思ったら、その人が死んだ時や、死んだ後の指図を記載した文書。

法的には遺言書ではないが、実質は遺言書に相当する内容も含む。

とはいえ、まだ読んだことはない。書店にはそういう名前の本がいくつも売られている。どういう人が買っていっているんだろう。男か女か。年代は。裕福な人か。

人間、その時になったら冷静に考えられなくなる。そういうものだ。早めに考える癖をつけておいて良い。というより、終わりの形を考えれば、始める時の心構えも変わる。

結婚したら、真っ先にドラフトを作ってみるべきだ。

結婚しない(できない?)一人ものなら、両親をなくしたときに書いてみるべきだ。次は自分の番だから。




相続

相続

相続人へのアンケートの結果では相続額は期待したほどではない。ということだ。親から子への相続で、その金額が小さくても問題は深刻でない。しかし、高齢の夫から高齢の妻が相続する場合は、妻の生活設計のベースになるだけにあまりに少なければ問題だ。

妻は夫の年金をもらえるのか。夫婦単位で見るならどうせ減額になるのは間違いない。不足分は資産を食い潰しながら生きるしかない。

夫が妻にいくら残すことができるか。

事前に把握して、何が必要か分かって置けば夫も妻も安心だろう。

妻から夫が相続するケースも考えられるが、妻に資産があれば同様の発想が必要だ。妻の年金がなくなるのもインパクトになる。妻が先立つ場合は金よりも、生活そのものが問題になる。

夫が書くエンディングノートと妻が書くエンディングノートはずいぶん違ったものになるだろう。



安全な有価証券に換える

相続を考えると、不動産などは減らしておくべきだ。不動産のほうが安心できる。そういう心理状態もあるが、主がいなくなった不動産は始末が悪い。

有価証券(ファンド)での運用をファンド会社は進める。ファンドは始末が良いがリスクは増す。人は間違えるから。

人生、手に入れたものは全てリリースしてあげなければいけない。

エンディングってそういうことだね。

生への執着でなく、欲からの解放。

死装束

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死装束

宗教や葬儀社で決まっているのを着せてもらう。特に自分の意思はない。それでいいですか。

嫌だ!と?

一張羅を着て死にたい?オフタイムでお気に入りのウエアを着て?スーツで?

嫌だ!と言ってみたものの、其処から先には何もない。理屈も何も無いのだから。どういえば我が儘になるかも分からない。人生のステージの思い出のシーンで着ていたものを選ぶのかな?。まあ、何でもいいんだ。兎に角、死装束を決めたら買って何処かに仕舞っておくのかな。死ぬ時は痩せてだぶだぶだったり逆に太って入りきらなかったり。下着とかまで拘るのかな。お清め。下は裸。それは拒絶するのか。

葬儀の手順を知らないと何処まで何を決めるべきかすら分からない。

大変なことになった。

葬儀社は面倒だから、お気に入りの衣服類を一緒に棺に入れてそれで済ませようとするでしょうね。何処に拘るのかを明確にしておかないと、意思は実現できない可能性があります。

終活ジルバ

終活ジルバ

エンディングノートですか?。安心して死を迎えるための手順書?かな。

そんな余計なお世話をする会社があちこちにある。サービスのつもり。やっぱ金でしょう。何処へ行くか分からない金を確保するために、証券会社、銀行、保険、葬祭、シルバーケア、などの企業が工夫しているのかもしれない。



自分が死んだ時ぐらい、自分のために子供に苦労かけさせていいのではないか。何処の誰に知らせなければいけないか、それを知るには親を知らなければ出来ないこと。エンディングノートが本当に必要なのは残される子供。遺族の方だ。

究極の過保護時代。親は自分が死んでも子供が困らないようにあれこれマニュアルを書いて死ぬなんて。馬鹿息子、馬鹿娘は、そのまま馬鹿をやってもらっていいのです。

終活ジルバ

終活ジルバ

そういう映画があったね。人生を諦めることができないのだ。分かっていても分かりたくない。人生の最後で、いままで諦めていたことを全部やろうと言うものだ。結末は忘れた。見ていないかもしれない。

ジルバに躍り疲れたら?



疲れたら眠るだけ?本当の終活が始まる?



死ぬまでジルバ?



母親の穴倉から出てきて、母親の穴倉に戻るために、土に帰る?



人は、今時の人に限らないが、なぜ終活というケジメ仕事をするのか?


  1. 自分の心配=心配している自分が居るという事実=を解消するため。
  2. 自分の欲望=死んだ後の形を思い通りにしたい。
  3. 家族への愛情=配偶者・子供が困らないようにしておきたい。
  4. 平穏な日々=いつでも気兼ねなく死ねるようにしておきたい。
その平穏な日々って何だろう?執行日をまつ死刑囚?またジルバを踊るの?
多分、次の心配を見つけてそれへの処方箋を書いて、次の安堵を得る。ひと時の安堵。
そしてまた次の心配を探し始める。新しい処方箋を書く。
エンドレスのエンディングノート。まるでマンガですね。まさに終活ジルバそのものじゃないですか。

終括ジルバ



終括ジルバ

終活は人生の終わりを迎えるための活動。終括は人生を総括すること。

人生の終わりを意識したら葬式の準備だけでは無く、人生のケジメも必要になります。それが出来なければ葬式は出来ても魂は半生のまま行き場を失います。

人生の終わりを意識したらあなたは何をしますか?

人生のオプションは思ったよりはるかに少ない。まして何かの弾みで人生の終焉を意識したら、オプションなど殆ど無いことに気づく。

あの世があると信じて、あの世への旅立ちに向けて準備する人も居ます。あの世のことは分からないが、現世に残す人たちへのケアやケジメを考える人もいます。

スイッチが入れば何かを始める。それぞれの思いによってそれぞれの真剣な活動が始まる。理解しがたい妙なものもあるだろう。そのうちと思っていたことは既に季節を失っている。でも悪あがきもしたい。駄目かもしれないけどやってみよう。ずっと我慢してきたこともある。

遠めに見れば、まさにセピア色の集団が思い思いにジルバを踊るようだ。

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